大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和42年(ワ)594号 判決 1971年4月28日

原告 株式会社福岡相互銀行

右訴訟代理人弁護士 江頭鉄太郎

被告 小林建雄

右訴訟代理人弁護士 岩本幹生

主文

一、被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和四二年六月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として

一、被告は昭和四二年三月三一日原告銀行箱崎支店の被告普通預金口座に別紙目録記載の約束手形一通を、取立委任裏書のうえ、振込んだ。

二、原告は、右手形を満期日に手形交換所において呈示したが、不渡りとなり、手形金の支払いはなされなかった。

三、当時被告の前記預金口座の実際の預金残高は二一万四、六〇〇円であり、右約束手形不渡りのため右手形金額一〇〇万円についての被告の原告に対する消費寄託は成立しなかったのに、その預金元帳上の預金残高が一二一万四、六〇〇円と一〇〇万円過多に誤記されたことにより、原告はその一〇〇万円につき消費寄託が成立したものと誤信し、右錯誤に基き、原告は昭和四二年四月一日、被告の預金払戻請求に応じ、右金一〇〇万円を被告に支払った。

四、従って、被告は右金一〇〇万円を法律上の原因なくして、原告の損失において、取得したものであるから、原告は被告に対し本訴により、右不当利得金一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和四二年六月一日以降完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める。

と述べ、被告の抗弁に対し「(1)項及び(3)項の各事実は不知。(2)項の事実は否認する。(4)項は争う。被告主張の譲渡証等は民法七〇七条一項にいう証書及び担保には該らないし、また、被告主張の書類が毀滅されても担保権自体は消滅しないものである。」と答えた。

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実は知らない。

三、被告が昭和四二年四月一日普通預金払戻請求をなし、これに応じ、原告が錯誤に基き金一〇〇万円を被告に支払ったことは認める。

四、(抗弁)原告は次の理由により右金一〇〇万円の返還請求をなし得ないものである。

(1)  被告は本件手形を割引きのため訴外桐石与三夫を介して訴外冬野正之から取得したものであるが、その際、右手形金債権の担保として、被告は桐石より、冬野の経営に係る飲食店「黒田城」及びバー「スター」に関する営業権及び店舗の売渡譲渡証、訴外冬野正之を債務者とする公正証書、本件手形振出確認書並びに手形金支払を約束する念書等の交付を受けた。

(2)  昭和四二年四月一日午前一〇時頃原告銀行箱崎支店の普通預金口座係より被告に対し、本件手形につき手形金の支払がなされた旨連絡があったので、被告は善意で本件手形金額の預金払戻を受けたのである。

(3)  そこで被告は、本件手形が決済されたものと信じ、担保として受領していた前記売渡譲渡証等の一切の書類を訴外桐石に返還し、これにより担保を失ったものである。

(4)  右は民法七〇七条一項所定の善意による証書の毀滅及び担保の放棄に該るものである。

と述べた。

(証拠関係)<省略>。

理由

一、被告が昭和四二年三月三一日、原告銀行箱崎支店に対し別紙目録記載の約束手形一通につき取立委任裏書のうえ、これを同支店の被告普通預金口座に振込んだこと、同年四月一日被告の右普通預金払戻請求に応じ原告は右手形金額相当の金一〇〇万円を支払ったが、右支払は原告の錯誤に基くものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二、<証拠>によると、右約束手形については手形交換の手続が措られ、満期日である同年三月三一日手形交換所において呈示されたが、手形金の支払が拒絶され不渡りとなったことが認められ右認定を覆えすに足りる証拠はない。

三、<証拠>によると、次の各事実を認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

前記預金口座振込及び金一〇〇万円の支払の当時、原告銀行においては、手形をもって普通預金口座に振込む方法で預金入金の手続がなされるときは、為替係員により取立手形入金票が起票されたうえ、これを普通預金係の記帳担当者において各預金口座名義人別の普通預金元帳に満期日付で転記するが、満期に手形金の支払があったときに限り、これを確認のうえ、右手形金額につき預金払戻請求に応ずる取扱いがなされていた。

また、当該手形の支払場所が原告銀行以外の金融機関である場合は、手形金支払の有無が即日判明せず、おくれて満期の翌日(ただし休日に当るときは順次一日宛おくれる)の正午頃に連絡があって判明するため、この手形を他店券と称し、特に、前記入金票下段に「交換他手(何)日」と表示され、前記元帳にもこれが転記されるとともにSCなる記号が付され、これにより手形金支払の確認を期するように運用されていた。

しかるに、本件の場合、口座振込手続を担当し取立手形入金票を作成した為替係員坂本豊次が「交換他手一日」と記載すべき表示を書き落し、さらに普通預金係記帳担当者淵上康子が右表示脱落に気付かず、原告名義の普通預金元帳に他店券であることの前記各表示を付さなかった結果、右元帳上本件手形金額相当の金一〇〇万円が単純に同年三月三一日付で振替入金された趣旨に記帳されてしまったため、翌日の同年四月一日の本件手形不渡りの判明前、午前一〇時ないし一一時の間に、被告からなされた前記預金払戻請求に応じて前記金一〇〇万円支払がなされたものであり、右支払についての原告の錯誤の事実内容は右のとおりである。

四、前示事実によると、手形をもってする普通預金の預け入れによる消費寄託は、当該手形金の支払がなされたときにはじめて成立するもので、当該手形が不渡りのときは当初から消費寄託は成立しないものと解すべく、本件の場合も原被告間において本件手形をもってする振込によっては消費寄託は成立せず、原告の被告に対する右手形金額一〇〇万円の消費寄託金返還債務は発生するに至らなかったものであるのに、原告はその担当機関において、右債務が発生したものとの錯誤に基き、被告に対しその弁済として金一〇〇万円を支払ったのであるから、右はその当時原告において債務の不存在を知らないで給付をなした非債弁済であることは明らかであり、不当利得として、被告は原告に対し右金一〇〇万円を返還すべき関係になるものである。

五、そこで、被告主張の抗弁について次に判断する。

<証拠>を綜合すると、被告は訴外桐石与三夫を介して、本件手形を割引く方法で、訴外冬野正之に対し資金を貸付け、桐石は冬野のため保証人となっていたものであり、これにより被告は本件手形を取得して前記預金口座振込をなしたものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

被告は、さきに右手形割引による貸金につき作成された公正証書、手形金支払約束の念書、担保のための店舗等譲渡証書などを、桐石を通じ、冬野から受領していたのに、前記金一〇〇万円の預金払戻を受けた結果、手形金債権が消滅したものとして、右書類を桐石に返還した旨の事実上の主張をし、これをもって証書毀滅及び担保の放棄として民法七〇七条一項に基く抗弁として提出しているものである。

そして、被告本人尋問の結果中には右主張事実に副う供述があり、証人桐石一二三の証言中にも、桐石の被告宛保証債務確認の証書その他の書類を受領し、焼却した旨の証言がある。

しかしながら、民法七〇七条の規定は、錯誤により他人の債務を自己の債務として弁済した場合の規定であり、同条一項所定の証書及び担保は当該非債弁済に係る債務の証書及び担保を指すものと解すべく、原告主張の証書及び担保は、いずれも本件非債弁済に係る消費寄託債務の証書及び担保でないことは明らかであるから、被告の右抗弁はその主張自体において理由がない。

のみならず、被告において主張し、かつ本人尋問において供述する公正証書は、その性質上公正証書の原本ではなく謄本を指すものと認められるところ、公正証書謄本は同条項所定の証書には該らないものと解すべきであり、また、被告本人尋問の結果によると右公正証書においては桐石自身当事者として保証債務を負担する旨の約定記載があるというのであり、主債務及び右人的保証に関して他に私署証書があり、これが毀滅されたからといって、右公正証書原本が公証人により保存されている限り、証書毀滅及び人的担保の放棄として前記民法の条項を適用すべきものではないと解するのが相当であり、さらに、物的担保に関しては、被告主張の店舗等譲渡証書の返還の点については、萩原、広方両証人の証言及び被告本人尋問の結果により認められる本件預金払戻及びその後の不渡り判明の結果なされた原被告間の折衝に関する経過に照し、被告主張に副う右尋問結果における供述はたやすく措信できず、他に右被告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

六、そうすると、被告に対し、本件不当利得金一〇〇万円の返還及びこれに対する被告が遅滞に付せられた本件訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和四二年六月一日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める原告の本訴請求は理由があるから、これを正当として認容すべきものとし、民訴法八九条、一九六条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺惺)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例